構成市の紹介

面積:963.39㎦  人口:101,164人(令和5年3月末現在)

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【内訳】

構成市 宇佐市 豊後高田市 国東市 合 計
面積 439.05㎦ 206.24㎦ 318.10㎦ 963.39㎦
人口 53,024人 22,122人 26,018人 101,164人

構成市の地図

宇佐市

 本市は、文化財の宝庫といわれるように、宇佐神宮や東西本願寺別院、龍岩寺、鏝絵、石橋など古い歴史・文化遺産が数多く保存・継承されているまちで、奈良時代の古事記・日本書紀では、宇佐は日向や出雲とともに神代の昔から栄えており、天孫降臨に先だって三女神が宇佐島に天降り、また神武天皇東遷の時、菟狭津彦、菟狭津媛が一行を迎えて歓待したこと等を記しています。
 神亀2(725)年に宇佐神宮が造営されてからは、九州の大半を領地に持ち、宇佐八幡文化の華を咲かせましたが、江戸時代末期には天領、神領、島原藩領、中津藩領、旗本小笠原藩領に分割統治されました。
 明治維新を迎える慶応4(1868)年6月には日田県、明治4(1871)年11月の廃藩置県では小倉県、明治9(1876)年4月の小倉県廃止で福岡県、同年11月には大分県の所管になるなど地方自治の準備が進められ、明治22(1889)年4月の大分県町村制実施により、当時多くの村があった宇佐郡内の村が合併し27ヶ町村となりました。
その後、合併・町制施行・市制施行などを経て平成17(2005)年3月31日に現在の宇佐市となりました。

豊後高田市

 当地域は、奈良時代末から宇佐神宮の影響を強く受け、平安時代には宇佐神宮の荘園となり、その経済力を背景として独特の山岳仏教文化「六郷満山文化」を開花させました。また、当時は海路交通により関西方面との交流が盛んであったため、直接、都の文化の影響を受けたものと考えられます。鎌倉時代から戦国時代まで、当地域は国東半島地域の武士団の瀬戸内海への根拠地であり、明治以降においては関門地域への内海航路の拠点となるなど歴史的には西瀬戸地域の交流の結節点の役割を果たしてきました。その後、昭和にかけて町村合併により、昭和29年に豊後高田市、真玉町、香々地町の1市2町が誕生しました。
 その後、我が国の産業構造の変化に伴う、都市部への人口流出により、過疎化、高齢化が進行したため、新たな時代の変化に対応すべく、平成17年3月31日に1市2町が合併し、人口26,101人(男性:12,207人、女性:13,894人)、新生「豊後高田市」が発足しました。

国東市

 国東市の歴史は古く、最古の人の足跡は、安岐町の「塩屋伊豫野原遺跡」での出土品で約1万5千年~2万年前の後期旧石器時代のものと推定されています。
 奈良時代末頃より、宇佐宮・弥勒寺の勢力との関わりにより国東半島に次々と天台宗系の山岳寺院が建立され、鎌倉時代から、1600年大友吉統(よしむね)が別府の石垣原の戦いで敗れるまで鎌倉・南北朝・室町時代と中世の400年近くを大友氏が豊後国を支配することとなります。この頃、国東半島は海上交通の要所として栄え、「海東諸国記」という書物には、北浦部衆と言われる武士団である水軍(海上自衛の武力を持った氏族集団)として活躍した岐部(木部)氏が、1468年対馬の宗助国の仲介により朝鮮半島と貿易をしていたとの記述も見られます。その後、1550年大友義鎮(よししげ)=宗麟が第21代当主となり、フランシスコ・ザビエルとの謁見をきっかけとして、キリシタン大名となりました。1587年、日本で初めて聖地エルサレムを訪れた信念の人「ペトロカスイ岐部」が国見町で生まれています。
 徳川時代を迎え細川家、小笠原家を経て松平家で杵築(木付)の藩制が定まり、幕府の直轄領(10か所)を除き、市内全域が杵築藩領となっています。また、江戸時代には、世界的哲学者三浦梅園が1723年に安岐町で生まれています。
この頃から豊後表(七島筵-むしろ-)の栽培が本格的に奨励され、本市の良港を起点に関西・東海方面へと出荷されるようになっています。明治22年に大日本帝国憲法が発布、近代的な法体系の一環として「市制・町村制」が公布され新町村が発足しました。この時、本市内にあった72村が、18村となっています。明治5年に日本で初めての鉄道が開通し本格的に「海上交通」の時代から「陸上交通」の時代を迎える中、本市でも明治45年から大正3年にかけて国東鉄道株式会社が設立され、昭和10年の11月に杵築駅から国東駅までの全線30. 3kmが開通しています。この鉄道は災害により昭和41年に全線が廃止されています。
 昭和43年には周防灘フェリー(国東市⇔山口県周南市)が就航し、昭和46年には、大分県の空の玄関である大分空港が開港いたしました。また、昭和59年には県北国東地域テクノポリス計画地域(高度技術工業集積地域)に指定され、平成3年には大分空港道路(平成22年10月に無料化)が開通し、その後、北大道路(高速道)と接続されました。さらに、昭和57年には、安岐町に大分キヤノン株式会社、昭和59年には、国東町に現ソニーセミコンダクタ株式会社大分テクノロジーセンターをはじめとする先端技術産業の企業誘致が進みました。
 その後、平成18年3月31日には平成の大合併により4町(国見町・国東町・武蔵町・安岐町)が合併して国東市が誕生して現在に至っています。